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李 豊(り ほう、生没年不詳)は、中国の三国時代の蜀漢の武将。荊州南陽郡の人。父は蜀漢の驃騎将軍李厳(李平)。 == 事跡 == 章武8年(230年)、江州に駐屯していた父の李厳が、魏将曹真を迎撃するために漢中へ向かうと、諸葛亮の上表により、李豊が江州都督督軍に任命され、父の職務をそのまま司った。この任命は、諸葛亮によれば、李厳の膨大な権力欲を宥めるための止むを得ないものであったとしている。 翌章武9年(231年)、李平(李厳が前年に改名)が食糧輸送が不可能となった責任を逃れようとした咎により罷免されたが、子の李豊はそのまま留め置かれた。諸葛亮は、李平を慰め諭し、蒋琬と協力して事務にあたるように、との趣旨の書面を李豊に送っている。その後、李豊は朱提太守まで昇進した。 小説『三国志演義』でも登場し、魏に寝返っていた孟達が再び蜀漢に帰参しようとした際には、李豊がこの事実を諸葛亮に告げている。李厳罷免の経緯は史実どおりであるが、この際に、李豊は長史に任命されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李豊 (蜀漢)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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